香嵐渓

20091103120638 文化の日。朝7時過ぎに長良川へ出発しようと車に乗り込んだら、6時半に集合しているチームメイトから電話。強風のため練習中止。とほほ~。

朝7時に出発してどこいくよ~?店や動物園、どこも開いてないよ~。ということで、名古屋にきてから噂だけ聞いていた紅葉の名所香嵐渓にナビを設定。今秋一番の寒波だけど、今週くぅが授業で使う落ち葉集めにも良いし、”開園”などを待つ必要もないし、防寒具もお湯も持ってるしね。

到着したのは8時半頃だけれど、駐車場では係員が客引きし、露天のお店も準備が始まり、紅葉狩りの人たちも結構いる。野点の茶席も既に準備されていて「今日は先着の方に無料でサービス」と声をかけていただきありがたくお茶をいただく。

紅葉にはまだ少し早いけれどマイナスイオンをたくさん浴びてきました。

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一の谷の芝の上での写生。くぅの紅葉とどぅさんの民家。

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7日目の親不幸

問【ヒラメを手で捕まえるには、どこをつかむとよいでしょう】

夏休み初っ端に大会を終えて、早々に帰省していました。大会と合宿の予定を考えると「ココしかないっ!」というタイミング。小さなプロペラ機で西へ。

以前は自分が友人達に会うために帰省していたけれど、今はほぼ両親とくぅのために過ごす毎日。。。では、実家と言えど、いえいえ実家だからこそ遠慮もなく、かえって息も詰まるというもの。幼い頃から身に沁みてわかっていることだけれど、父の暴君ぶりに呆れたり怒ったり、母の寛容さにすっかり甘えてしまったり。つい先日、友人たちと行った賢島で話題に出たように、理不尽さを学んだのは「・・・そうそうこの家だった」とため息混じりに思った次第。まぁ、帰省するたびに思うことは同じなんだけどね。

くぅは田舎の夏を満喫しました。魚の朝市に出かけ、きれいな砂浜で大きな砂山とトンネルを作り、母の地元の夏祭りで魚のつかみ取りをし、打ち上げ花火を見上げ、セミを取り、両親が講師を務める折り紙教室へ行き、親戚の家をまわり、お墓参りをし、プールへ行き、刺身や雲丹や無農薬の夏野菜やスイカや桃をたらふく食べ、少し早い誕生日プレゼントにインラインスケートを買ってもらい。。。

そりゃくぅは満足だろ~。夏休みの宿題の絵日記系は書くこと事欠かないよね。

さて、1週間の帰省。くぅにアレもコレもやらせたい、見せたい、食べさせたいと心躍る両親も、中日を過ぎたあたりから別れの日が近づくのがなんとも寂しいようで、少しずつ少しずつ居たたまれなさが増してくる。毎度のことながら空港で見送られる時には、本当に自分が親不孝の塊のような気になる。けれど仕方がない。そう仕方がない。私は何度もこうして親不幸を繰り返してきたのだし、こうやって親元を離れることを早くから望んでいたし、そういう道を行くものだと思春期をむかえた頃から知っていた気がする。

ということで、いつもながら親孝行のつもりで帰省し、親不幸の塊と化して帰宅しました。どぅさんは1週間、少し不便な自由時間を楽しんだみたいです。

そうそう答え。ヒラメをつかみ取りする時には”顔”をしっかりとつかみましょう。

8×4メートルほどの浅いビニールプールに海水と鯛・ヒラメ・鯵・ハマチが投げ込まれ大量に泳ぐ中、学年別に子どもたちが水飛沫をあげて魚を追いかけます。撮っていたビデオには「くぅちゃん!ヒラメ!ヒラメ獲って!顔よ、顔つかむといいから!!」と、私の指示がしっかりと録画されていました。昨年は一匹も獲れなかったくぅも、さすが1年生。ヒラメ2匹&鯵1匹の収獲。インラインスケートもびびらないし、たくましくなったねぇ、くぅちゃん。

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ノッポカフェ

3年前”幼稚園ママ”になって驚いたことは、多種多様多芸なママ達が多いこと。特にくぅが通っていた幼稚園のお母さん達は雑貨系に優れた人が多く、布系・ビーズ系・編み物系・トールペイント系・木工大工系・スイーツ系・・・その作品はそのまま雑貨屋さんで販売できるほどのレベル。実際お店で販売している人もいたし、手作り集団を立ちあげて「おうちカフェ」「おうちバザー」、さらにはスペースを借りて一日限定雑貨屋なども開催しています。しかもそのグループがココ界隈でいくつも。

090625 不肖ワタクシも「縫い目は見ないでネ~」と言いつつ、先月のバザーで小学生用ポーチを販売させてもらいました。

ベルト通し2ヶ所に差し込んでマジックテープで留めるタイプ。ティッシュ&ハンカチを入れます。学校に通う私服のポケットが小さくて、女の子はヒモを斜めがけにしてポシェットを持っている子が多いのだけれど、ヒモは引っぱったり引っかけたり、事故の危険性が否めない&くぅはすぐに洟垂れになるから常にティッシュを手放せない=考案しました。

石の上にも3年。幼稚園に通った3年間で、何かしら自作できるようになりました。今は家用布ぞうり作りにはまっています。

さて昨日はノッポカフェの日。といっても、ただウチでママ達が集まってしゃべってるだけなんだけど、折りよく友人から主婦向け?アンケートの依頼が舞い込んできました。集まっていたみんなに聞いて、ポチッと返信。働いている彼女への返信は、距離を越えるだけでなく、同時に存在するパラレルワールドへのクリックのような錯覚。

小学校入学して、もちろんクラスには学童に入っている子もいるけれど、その数は圧倒的に少ない。キャリア系・総合職系お母さんにはほとんど出会えない。転勤族が多い(=妻が仕事を続けづらい)エリア性もあるのだけれど、友人たちのことを少し様々に思いめぐらせる一日でした。

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SとN

別れ際のことば。

S「ふるさともなくなったし、もう会うこともないと思うけど元気でな」

N「また一緒に飲もうな」

Sの言う現実と、Nの言う気持ち。対極にあるけどどちらも本当だね。

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ふるさとで

「何でママは愛媛には『帰る』っていうけど、東京だと『行く』っていうの?」

ずぅっと以前に、くぅに聞かれたことがある。どぅさんの実家はとっても居心地が良くて、昔から一人でも泊まっていた私としては『実家』として馴染んでいたつもりなのに、無意識に『帰る』と『行く』を使い分けていたようで、小さなくぅに指摘されて驚いた。

土曜日の夜、学生時代に毎日毎日つるんでいた旧友宛へのメールに「ご葬儀のために東京に帰るのは寂しいわ@新幹線」と私は書いていた。東京へ向かう新幹線での数時間は学生時代に帰る旅であり、ご葬儀のためだけに帰る一人の時間は悼む時間でもあった。

ご葬儀の会場には店に飾られていた各部各代の色紙や写真やボール、そして少なくともこの20年間は書きなおされていない赤茶けた店のメニューが並んでいた。遺影の故人は店に立ち、笑顔だった。参列者は日本人の平均的な体型を上や横に上回る、明らかに嵩高い人(私も含め)が多かった。そしてその中に数多くの古い顔があった。

「よぉ、久しぶりだな、こぅ。お前痩せたな~」そういわれても、このオジサンたちが誰かわからない。この体格で呼び捨てにするからにはどこかの部の同期か先輩のはず・・・と記憶をまさぐっていると「Iだよ」「Sだよ、わかんね~のか?」・・・野球部の同期だった。そこかしこでそんな会話が少し密やかに行われ、故人の晩年の様子を聞き、出棺を校歌で送り、数人で場所を変えまた語らう。

皆が重い腰を上げ別れた後、一人で歩いてみた。きっと次に東京に帰ってきた時にはふるさとはなくなっているだろうから、最後にもう一度店の前に立ち手を合わせたかった。明治通りを横切る交差点で前を歩く黒い姿に気付く。同期たち。彼らとはご葬儀会場で別れたのに、なんて偶然だろう。

「考えることは一緒だな」最も信頼し仲の良かったNはコップ酒がいくつも入った袋を持っていた。カウンターに供え、片付けをされていたご親族に渡し、間口一間ほどの小さな店の前に並んで立つ同期で残りをまわし飲む。誰彼飲んだコップ酒が、みんなの手をぐるぐるまわる。涙が出た。まさかもう一度ふるさとで皆で飲めると思わなかった。きちんとお別れができた気がした。

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不満分子

訃報を受けて以来、記憶が20年余りを遡っていく。日々悼む気持ちと、過去の記憶が、自分の中でじわじわと広がってきてなかなか苦しい。大きな喪失感は現在ではなく、私の現在をつくった背景。思い出とか記憶とかではなく、自分のバックボーンの大きな一部が欠けてしまったような喪失感。

もうひとつ苦しいのはこの喪失感を共有できていないこと。この場合の消化には共有共感が欠かせないと思うのだけれど、訃報を知らせ飛び交う短いメールや電話ではその役目は果たせず、週末のご葬儀で古い顔を見るまではずっと抱えなくてはならない。あるいは・・・。

物理的にも時間的にも遠く離れてしまっていた私は、故人の最期とも遠くはなれていて、側で支えていた有志に感謝すると共に、何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。最後にお会いしたのは、私たちの結婚式の日。

週末のスケジュールをどぅさんと話し、故人の存在を伝えようとするのだけれど、濃密な4年間を伝える言葉が見つからない。何だかばかみたいにありきたりな言葉になってしまう。

毎晩のように行っていた。ほとんどの体育会の人間は行っていた。下級生だけでは行けない店だった。とにかく安く飲み食いさせてくれた。試合の時にはたくさんのおにぎりを差し入れてくれ、それは本当に美味しかった。そこには一つの社会があり、長い歴史があり、そこでは痛い時代(思いきって言ってしまえば”青春時代”)のいろんなものを吐き出し、悪行の数々をはたらいた。そこに集うOBOGの姿は、身近な憧れでもあった。

どぅさんに上手く伝わらないから、会話がちぐはぐになる。それがまた小さな棘になる。

思えば私は随分どぅさんの側にズカズカと入り込んで、水上スキーに行き続け10数年経ち、どぅさんの背景を垣間見ることもあるけれど、どぅさんは私の背景に出会う機会がほとんどない。上手く伝わる土壌もなければ、彼は細やかに気持ちを汲み取るタイプでもない。それはそれで別に全くかまわないのだけれど、こういう時にはソレが棘にも薬にもなる。

私は日頃あまり過去と繋がらないタイプなので、20数年前から現在までの私に流れ込む川は干上がっていたのだけれど、にわかに水が流れ始めたようで、様々な記憶が細い支流の先に見えてくる。水によって、忘れたり手なずけたはずの気持ちが息を吹きかえし、現在の小さな不満が芽を出そうとし始めるのがわかる。けれど、長続きしない。この芽は敢えなく時間と共に枯れてしまいそうなこともわかる。いっそ、この芽が現状を突き破るほど大きく育ってしまえばいいのに。

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心のふるさと

母校の校歌には「心のふるさと」という言葉がある。

離れて久しいけれど、久しいからこそ、その姿は往時と変わらぬまま記憶の中にあり続けていた。決して変わらないものなんてないと知りつつも、変わらず在り続けていたことが錯覚だと改めて気付く。

今朝とどいた”ふるさと”の訃報は、引力のように、卒業と共に散じた人々を引き寄せる。

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三十三回忌

どぅさんの祖父、くぅの祖祖父の法事に行ってきました。暖かく晴れた日に美しく整えられた広い広い霊園の中にある墓石の近くに続々と親族が、そして親族と思われる人々が集まってきます。11年前の結婚式以来数えるほどしかお会いした事がない方もいらっしゃれば、「初めまして」の方々も。久々に顔を合わせるとあってどぅさんも全ての方のお顔がわかるわけではなさそう。

皆さんに倣ってお線香をあげ手を合わせ、墓前で記念撮影。くぅは霊園で拾った木の実を大切そうに握りしめ、お線香と一緒にお供えしていました。ただ落ちていただけの木の実ですが、それは何だかとっても大切な想いがこもったものに見えます。日頃落ち葉や土や砂や石やそして木の実で遊び、宝物のように扱っているくぅの姿を見ているだけに、墓前に置かれたその木の実はとても特別なものだということがわかります。くぅのその心根の優しさがとても嬉しい。

従姉のりんちゃんと一緒にお花にお水をあげ、お参りした足あとのついた土を均す二人の姿もとても微笑ましい。この子達はきっと大丈夫。。。何がどうしてどう大丈夫なんだか根拠はないけれど、その姿にこんな気持ちが湧いてきます。

20080516140408 お参りの後は皆で会食。子の代、孫の代、ひ孫の代と集まり、おじいちゃんのアルバムを見ながら飲みながら途中からは立食パーティの様になり何とも賑やか。自分が命を終えて33年も経って、こんなにたくさんの子孫が集まるなんてとてもとても考えられません。おじいちゃん、偉大。

偉大といえば。

18才で家を出てから、きっと何度か法事に出席するタイミングはあったのだろうけれど、離れている事を理由に敢えて両親から呼ばれる事がなく今を向かえた私。法事って”ご仏前”のお包みがいるのね(汗)。墓前で「え?あなたたち持ってきてないの?持ってきてないの?持~ってきてないのぉ~?」とおっしゃる義母。3回目の「持~ってきてないのぉ~?」でバッグの中からサッ!と出てきたのが不祝儀袋!しかも”水澄どぅ”と名前まで書いてあるではありませんか。「中身は入ってないわよ(ニヤリ)」。うわ~すっかりお見通し。さすがですお義母さま、偉大~。

法事の後は義両親と義兄家族と我家で御殿場プレミアムアウトレットへ。家族3代でアウトレット、何だか最近の定番になってきました。車で片道4時間、法事経由アウトレット。とても1日の出来事とは思えません。

どぅさんは元気に今朝7時から川で滑っています。風邪気味のくぅを労わって・・・と言いつつ、本当はすっかりバテて朝起きれず私は今日はパス。さ、明日は長良川で滑ろう。

そうそう、書き忘れちゃいけない。

どぅさんのおじいさまの若かりし頃のお写真は、まるでドイツ人。いえ、日本人なんですけど、とてもとてもとてもとても日本人には見えません。お義父さんの若かりし頃のお写真は、まるでどぅさん。くぅに「パパど~こだ?」と見せると、「これ!」と自信を持ってお義父さんを指差していました(笑)親族の方々もそれぞれ納得のお顔つき。う~ん、おじいちゃんは遺伝子も偉大だった。

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ここのところ

4月に入ってから平日のタイムスケジュールが崩れまくっています。働いていないので大したスケジュールではないのですが、それでも退職・転居・幼稚園という大きな曲がり角をまがってからの2年で緩やかに固まってきた日常の型が崩れてくるとちょっと気ぜわしかったりします。

ええと。土曜日は快晴なれど風強く練習が出来ないため国宝犬山城へ行ってきました。古くからの城が残っており、急階段といい、天守閣といい、これぞまさに城。以前名古屋城があまりに博物館チックでがっかりしたのに比べ、犬山城は一見の価値あり。

城のふもとの猿田彦神社で”重軽石”(願い事をして座布団の上の大きな石を持ち上げてみる。重ければ願い叶わず、軽ければ願い叶う)にチャレンジしたくぅ。「ダイヤモンドをください!」と言ってみたものの石は重くてびくともせず(笑)。5歳のくせに何でダイヤなんか欲しいんだ?けれどあまりにがっかりしているので違う願い事で再チャレンジさせてみると「名古屋に雪が降ってMちゃんとNちゃんと雪遊びが出来ますように!」ほんの少しだけ石が動きました。えぇ、まぁ、力加減がわかったからなのでしょうけれど(笑)。ダイヤは無理だけど、きっと雪の願い事は叶うよ~。

名鉄犬山ホテル内にある有楽苑には国宝茶室如庵があり、特別公開していたので無粋な家族ながら足を踏み入れてきました。また隣接しているお茶室ではお茶も頂けるとのこと。くぅ、お茶会デビュー・・・と思いきや、どぅさんもデビューでした。しかも足首の古傷のせいで正座できず胡坐で。。。オイオイ、お茶会で胡坐かいてる人初めて見たよ。

翌日は長良川。K卒Yも珍しく参加し、約1年ぶりに滑っていました。私は先週のひらめきを試したけれど足を気にするあまり腰が落ちNG。指導されるポイントは前体重と板の角度。それでもゲートに入り2ブイが取れました。初出来♪どぅさんはプレターン時のツボを発見し絶好調に。どんなツボかは・・・気が向いたら後日記録します。練習終了後は昼食を取り大型公園→近所の温泉施設へというお決まりパターンで。

で、今週。平日の自由時間がままならなくなり、園での滞在時間が驚くほど長くなったのですが、それでも今週はヒマを見つけては走ったり、ヨガに行ったり。常に体のどこかに筋肉疲労を感じていて、いいカンジです。このまま少しずつ体をケアしていれば、冬になったころには少しは体力ついているかな~。

ここのところ、この散文のごとくとっちらかった毎日です。

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診断名:老化

網膜剥離の可能性があるため2週間後に再検査。
剥離が認められればレーザーで手術。

その2週間後が今日でした。

事前に病状や治療法について調べようかとも思ったのですが、マイナスの情報を自らインプットして2週間気を揉むよりも、出たとこ勝負を選びました。診断されてから調べたりセカンドオピニオンを求めても遅くはない病気かな・・・とも思い。

結果。

「あ~網膜剥離じゃないね~。胸部レントゲンも人間ドッグで撮ってるよね。胸部の病気があるとこういう影が目に出る事もあるんだけど。大丈夫だね~。ドルーゼンのコトもあるから6ヵ月後に経過観察をしましょう!」

あの、先生。じゃぁ眼底写真に写る魚の尻尾のような陰はいったい何なのでしょう?

「kjfぃs::wrm(←病名忘れた)だね。ま、老化ですよ」

ろ、老化ですかぁ~。
密かにレーザー手術を覚悟していた私は拍子抜け。

あ、じゃぁ先生!池や川で水上スキーやっても良いですか?!

「いいですよ~。アレは激しいからね~。眼を痛めないようにだけ気を付けてね」

やった~♪
ポケットの中には手術を前提とした先生への質問事項を書いたメモがあったのですが、めでたくゴミ箱へ。いやもぉ、本当に嬉しかったです。

ちなみにメモ用紙に書いてあったのは。。。いや、言わずもがな。いつから滑れるか?でした。

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