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ノッポカフェ

3年前”幼稚園ママ”になって驚いたことは、多種多様多芸なママ達が多いこと。特にくぅが通っていた幼稚園のお母さん達は雑貨系に優れた人が多く、布系・ビーズ系・編み物系・トールペイント系・木工大工系・スイーツ系・・・その作品はそのまま雑貨屋さんで販売できるほどのレベル。実際お店で販売している人もいたし、手作り集団を立ちあげて「おうちカフェ」「おうちバザー」、さらにはスペースを借りて一日限定雑貨屋なども開催しています。しかもそのグループがココ界隈でいくつも。

090625 不肖ワタクシも「縫い目は見ないでネ~」と言いつつ、先月のバザーで小学生用ポーチを販売させてもらいました。

ベルト通し2ヶ所に差し込んでマジックテープで留めるタイプ。ティッシュ&ハンカチを入れます。学校に通う私服のポケットが小さくて、女の子はヒモを斜めがけにしてポシェットを持っている子が多いのだけれど、ヒモは引っぱったり引っかけたり、事故の危険性が否めない&くぅはすぐに洟垂れになるから常にティッシュを手放せない=考案しました。

石の上にも3年。幼稚園に通った3年間で、何かしら自作できるようになりました。今は家用布ぞうり作りにはまっています。

さて昨日はノッポカフェの日。といっても、ただウチでママ達が集まってしゃべってるだけなんだけど、折りよく友人から主婦向け?アンケートの依頼が舞い込んできました。集まっていたみんなに聞いて、ポチッと返信。働いている彼女への返信は、距離を越えるだけでなく、同時に存在するパラレルワールドへのクリックのような錯覚。

小学校入学して、もちろんクラスには学童に入っている子もいるけれど、その数は圧倒的に少ない。キャリア系・総合職系お母さんにはほとんど出会えない。転勤族が多い(=妻が仕事を続けづらい)エリア性もあるのだけれど、友人たちのことを少し様々に思いめぐらせる一日でした。

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SとN

別れ際のことば。

S「ふるさともなくなったし、もう会うこともないと思うけど元気でな」

N「また一緒に飲もうな」

Sの言う現実と、Nの言う気持ち。対極にあるけどどちらも本当だね。

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ふるさとで

「何でママは愛媛には『帰る』っていうけど、東京だと『行く』っていうの?」

ずぅっと以前に、くぅに聞かれたことがある。どぅさんの実家はとっても居心地が良くて、昔から一人でも泊まっていた私としては『実家』として馴染んでいたつもりなのに、無意識に『帰る』と『行く』を使い分けていたようで、小さなくぅに指摘されて驚いた。

土曜日の夜、学生時代に毎日毎日つるんでいた旧友宛へのメールに「ご葬儀のために東京に帰るのは寂しいわ@新幹線」と私は書いていた。東京へ向かう新幹線での数時間は学生時代に帰る旅であり、ご葬儀のためだけに帰る一人の時間は悼む時間でもあった。

ご葬儀の会場には店に飾られていた各部各代の色紙や写真やボール、そして少なくともこの20年間は書きなおされていない赤茶けた店のメニューが並んでいた。遺影の故人は店に立ち、笑顔だった。参列者は日本人の平均的な体型を上や横に上回る、明らかに嵩高い人(私も含め)が多かった。そしてその中に数多くの古い顔があった。

「よぉ、久しぶりだな、こぅ。お前痩せたな~」そういわれても、このオジサンたちが誰かわからない。この体格で呼び捨てにするからにはどこかの部の同期か先輩のはず・・・と記憶をまさぐっていると「Iだよ」「Sだよ、わかんね~のか?」・・・野球部の同期だった。そこかしこでそんな会話が少し密やかに行われ、故人の晩年の様子を聞き、出棺を校歌で送り、数人で場所を変えまた語らう。

皆が重い腰を上げ別れた後、一人で歩いてみた。きっと次に東京に帰ってきた時にはふるさとはなくなっているだろうから、最後にもう一度店の前に立ち手を合わせたかった。明治通りを横切る交差点で前を歩く黒い姿に気付く。同期たち。彼らとはご葬儀会場で別れたのに、なんて偶然だろう。

「考えることは一緒だな」最も信頼し仲の良かったNはコップ酒がいくつも入った袋を持っていた。カウンターに供え、片付けをされていたご親族に渡し、間口一間ほどの小さな店の前に並んで立つ同期で残りをまわし飲む。誰彼飲んだコップ酒が、みんなの手をぐるぐるまわる。涙が出た。まさかもう一度ふるさとで皆で飲めると思わなかった。きちんとお別れができた気がした。

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不満分子

訃報を受けて以来、記憶が20年余りを遡っていく。日々悼む気持ちと、過去の記憶が、自分の中でじわじわと広がってきてなかなか苦しい。大きな喪失感は現在ではなく、私の現在をつくった背景。思い出とか記憶とかではなく、自分のバックボーンの大きな一部が欠けてしまったような喪失感。

もうひとつ苦しいのはこの喪失感を共有できていないこと。この場合の消化には共有共感が欠かせないと思うのだけれど、訃報を知らせ飛び交う短いメールや電話ではその役目は果たせず、週末のご葬儀で古い顔を見るまではずっと抱えなくてはならない。あるいは・・・。

物理的にも時間的にも遠く離れてしまっていた私は、故人の最期とも遠くはなれていて、側で支えていた有志に感謝すると共に、何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。最後にお会いしたのは、私たちの結婚式の日。

週末のスケジュールをどぅさんと話し、故人の存在を伝えようとするのだけれど、濃密な4年間を伝える言葉が見つからない。何だかばかみたいにありきたりな言葉になってしまう。

毎晩のように行っていた。ほとんどの体育会の人間は行っていた。下級生だけでは行けない店だった。とにかく安く飲み食いさせてくれた。試合の時にはたくさんのおにぎりを差し入れてくれ、それは本当に美味しかった。そこには一つの社会があり、長い歴史があり、そこでは痛い時代(思いきって言ってしまえば”青春時代”)のいろんなものを吐き出し、悪行の数々をはたらいた。そこに集うOBOGの姿は、身近な憧れでもあった。

どぅさんに上手く伝わらないから、会話がちぐはぐになる。それがまた小さな棘になる。

思えば私は随分どぅさんの側にズカズカと入り込んで、水上スキーに行き続け10数年経ち、どぅさんの背景を垣間見ることもあるけれど、どぅさんは私の背景に出会う機会がほとんどない。上手く伝わる土壌もなければ、彼は細やかに気持ちを汲み取るタイプでもない。それはそれで別に全くかまわないのだけれど、こういう時にはソレが棘にも薬にもなる。

私は日頃あまり過去と繋がらないタイプなので、20数年前から現在までの私に流れ込む川は干上がっていたのだけれど、にわかに水が流れ始めたようで、様々な記憶が細い支流の先に見えてくる。水によって、忘れたり手なずけたはずの気持ちが息を吹きかえし、現在の小さな不満が芽を出そうとし始めるのがわかる。けれど、長続きしない。この芽は敢えなく時間と共に枯れてしまいそうなこともわかる。いっそ、この芽が現状を突き破るほど大きく育ってしまえばいいのに。

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心のふるさと

母校の校歌には「心のふるさと」という言葉がある。

離れて久しいけれど、久しいからこそ、その姿は往時と変わらぬまま記憶の中にあり続けていた。決して変わらないものなんてないと知りつつも、変わらず在り続けていたことが錯覚だと改めて気付く。

今朝とどいた”ふるさと”の訃報は、引力のように、卒業と共に散じた人々を引き寄せる。

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三つのハート

時折ブログ再開の催促をしてくださる方がいるので、ぼちぼちゆるゆる、また記憶を記録して行こうと思います。

この1年数ヶ月でリアルな人間関係が濃くなり、すっかりご無沙汰していました。さて何から書こう・・・となると、やはりくぅのことかしら。

確か3歳の終わり頃に初めて水上スキーにチャレンジして依頼、ビビリまくって泣いてでも滑らなかったくぅ。宥めすかして滑らせても、思いっきり後ろ向きな気持ちは板への体重加重も後ろになり上手く滑れずますます苦手意識を募らせるという悪循環。

だったんだけど、何やら最近私が言った言葉が鍵となり、突然前向きに滑り始めた。昨日など長良川の水面が悪く、滑れるのはあと一人という状況で私とくぅがジャンケンし、見事くぅが勝って滑り、私は練習できず。

えっと、くぅちゃん。ママのどの言葉でスイッチが入ったのか全くわからないんですけど。

聞いても「ナイショ」と教えてくれない。一輪車に乗れだしたこと、空中逆上がりができるようになったこと、運動会のかけっこで1番になったことナドナド、運動能力的自信が彼女を支え始めた事は容易に推測できるのだけれど、スイッチの言葉がわからない。

090608 上手に滑る度に、くぅの板には9枚1セット100円で売られているハートのデコシールが増えていく。9枚全部貼れるごとに、難しいこと(パパに水中で支えてもらわず一人でスタートするとか、ボートからのロープ&ハンドルで練習するとか、ジュニア用の板にするとか)にチャレンジしていくと、自ら練習プランを立てた。初トライで上手に滑れた時(何年前やねん(~_~;)、そして土曜日の琵琶湖と日曜日の長良川、今は3枚のハートのデコシールが板の上で輝いている。

ハードルが多いスポーツだけれど、その気持ちが長く続くよう、温かく見守りたいと思うよ。カメのような努力家さん。

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